できることなら。
起きたい時間に起きられない。
誰とも話たくなんかない。
でも家にいても、いいことはひとつもない。
よけいいらいらするばかり。
どこにいてもしんどい。
どこにも行けない。
こんな気持ちを誰も知らない。
いや、知らなくていい。
人とつながることに、希望なんてどこにもない。
夢なんてどこにもない。
気がついてほしいなんて思わない。
甘えていいなんてやっぱりどうして思えない。
自分を自らではなく、誰かの手によってとことんまで貶めてほしくなる。
私の居場所なんてそんなものでしかないのだから。
もう誰も大丈夫だなんて気休めみたいなことは言わないで。
あなたは大事にされていいなんて言わないで。
どうしても期待してしまうから。
そして疲れてしまうから。
せめてできることならば、どこかに隠れてしまいたい。
誰も知らない、誰も見ていないどこかへ、ひとりぼっちで。
そして夢すらも見ない位に、誰にもどんなことにも邪魔されずに、
ただ眠り続けたい。
ひとりぼっちでがんはり続けるには、もうエネルギーが足りないみたいだから。
そして、そんな私のことは、誰にも知られたくなんかない。
背中に孤独感が見えるとか言われる件について。
別に背後霊とかそういうたぐいの話ではないので念のため。
というか、書いてる本人が霊感ってのがゼロなんで。
最近だけど、美しくもないくせに、たいした取り柄もないくせに、
男にはあまり不自由しなかったのは、
本当に愛情を感じて近づいてきたというよりは、
単に私から見える孤独感や寂しさをどうにかして「あげたい」とか、
あんまりにもなのでつい・・・とかいう、いわゆる依存でしかなかったような気がする。
つまりのところ、本当の愛情ってのが何なのかなんてよくわからないけれど、
健康な愛され方ではなかったのかなとも思う。
そして、そういうのを引きつけやすい私も、健康ではないのだなと。
嘘でもいいから。
たとえジョークでも、言葉にしてほしくなかった。
それが嫌だというから、その言葉を最後に信じようと思ったのに。
確かに前科はある。
また抵抗なくやれるでしょと思われても仕方はない。
夢だってあるし、もっと健康だったらという気持ちはいつもある。
でも、もうあの頃の私じゃないんだ。
自分のこと、心も身体もだけどまずそこを大事にしようねって、
みんなでサポートするから、という支援施設のスタッフや、
きっと同じ事を思ってくれているであろう彼と、彼を囲む大切な友達がいる。
私は少なくとも、ひとりぼっちではなく、
そしてしがみつかなくてはいけない関係だけの世界にいるわけでもない。
身体を切り刻み、お金と引き換えにして、一瞬でも思考回路を停止して、
なんとか生き延びるなんて、そんな無茶をもうしなくていいのだから。
そんな悲しくなるようなことをしてはいけないのだから。
一度は最後に信じようと決めた人に、例え話の種にでも、
また身体を売ったら、なんて言われて、傷つかない方がおかしいのかも。
でも今までは、何にも感じなかった。
自分の感情がほんとにどうにかしてたんだなと思う。
もちろん、それはそれで楽は楽なんだけど、
嫌なこと、苦しい事が無意識にたまってくると、
体調はどんどん悪くなるってわかってきたから。
気づくことができて、しんどくて仕方ないけれど、
自分を大事にする選択もできるようにいつかなれるかもしれない。
今はそれだけを信じて、無理せず向き合えればいいのかな。
傷ついたことを伝えると、相方は黙ってしまう。
傷つける事が怖くて、話せなくなるという。
でもその先に何か動くとかはまだできないらしい。
見切りをつける、という選択が必要な時もあるかもしれない。
でも、ぶれずに流されずに、私の想いを大事にしていきたい。
そしていつか、そういう自分で、彼に会えたらいいなと。
そのうちとかまた今度とか。
無理をしてはいけないけれども、
今できることを、できるだけ。
いつかとかそのうちとか言っていると、かなわなくなることもあったりすると。
一報を聞いたときに、まさかこんな気持ちになるとは思わなかった。
はたから聞く話を総合しても、そんなによい情報はなかったわけだし。
でも、現実を目の当たりにすると、もう次のいつかはないのだなと思う。
チャレンジ。
別に比べるわけではないのだけれど、レベルも違いすぎるけど、
そうやって彼ががんばっているように、何かちょっとだけできればいい。
だって私には氷の上で4回転ジャンプなんて有り得ないんだから(当然)、
そんな風にいたずらに人と比べる必要すらないし。
牛乳のパックが壁みたいに積み上がっていたのを(おい)、
一日に5個「だけ」ずつ解体して広げてみることにした。
終わったら古紙回収に出せるように。
毎日ずっと続いてもいいや、位の気持ちでいたのに、
あっさり1ヶ月もかからずに終わってしまった。
当たり前にみえるかもしれないけど、私にはすごい挑戦だった。
ここのところの生活は、毎日が挑戦みたいにもなっている。
もちろん、がんばりすぎるつもりはないのだけれども。


