年が明けてから。
リラクゼーションサロンのお姉さん(一人で店をやっている)だけ。
あ、仕事の話を数回したけれども、こんなんでいいのか、よくないだろう。
でも、会いたくないときはとことん会いたくないし、
何をしても楽しくないときは、とことん楽しくないので仕方がない。
そのうち何かできたらいいなとは思うけど、
それがいつなのかはさっぱりわからない。
こういう状況で歌いたいとか、そういう気持ちにはとてもなれないので、
がんばっている彼には申し訳ないのだけれども、あまり外には出ないままでいる。
夏にはまたドイツに行きたい、と遙かなる願望だけはある。
いや、4月にプラハでショーがあるので密かに狙っていたりもする。
プラハは憧れの街だ。そりゃ夢みたいな所じゃないだろうけれども、
世界遺産の教会群を見て、祈れるだけでも十分すぎる程魅力的だ。
でも、実際のところ私はどうなっているのかさっぱりわからない。
生きていて、楽しいと思える事があるのかないのか、
この先そんな事がありそうな気が、今はあんまりしなかったりもする。
ただ、ここ最近、日の昇らない夜はなくて、春が来ない冬はない。
そういうことは、どん底にいるといまいちわからないのだけれども、
なんとなく、そうなのかもしれない、とも思える事もあるにはある。
とりあえず、なんだらかんだらで仕事を探し当てられたのは、
ちょと奇跡的というか何というかで。
いろいろな人に会いたいとか、何かを楽しみたいとか、
まだそういう方向ではないような気もしてるけれども、
彼の調子がよくないのを見て、食欲まで数日落ちるとかいう、
とてもドイツ方面に言えないような、情けない状況な事もあるけれど、
そして、それは別に彼が悪いとかじゃ全くなくて、全て私の病のせいなのだけど。
波があるのは、もう致し方がないことだと、自分で自覚している。
それで、世間に迷惑をかけるのは私の本意ではないけれども、
そういう事すらも、自分で楽しめる位、鈍感になれればいいのかもしれない。
でもそれはそれでまた、自分らしくないような気もしている。
もがいてもがいて、いつもどこかでこっそりと、死にたいと思っていて、
でも誰かの笑顔を見ると、ついがんばっちゃうじゃないかもうこいつったら、
みたいな日々を、ずっとやり続けるしかないのかもしれない。
その中で、少しずつ何かを続けていけるのならば、波はあるけれども、
ぼちぼちと続けていけるのならば、それが許されるのならば、
それもそれで、私らしいのかもしれない。
世間では、あまり認めてもらえないかもしれないけれども、
しばらく通っていた、ACやEAの自助グループで私が確信したことは、
「世間や他人の評価は、自己評価ではない」ということだったのだから。
と書いたら、久しぶりに自助グループにつながりたくもなった。
たまには、心の中ではひとりでいられる場所だって必要なんだ。
家にこもってるのに、実はひとりになれてないというところが、実に辛い。
だから、結局仕事に逃げるんだろうけれども。
で結果としてお金を作って、国外に逃げるのだろうけれども。
誰かのせいにしたくはないが。
マッサージ屋に行った後に、マックのコーヒーを飲むのが、
小さな一人の贅沢だったりとかする。
帰りが遅くなるのは、まだ罪悪感がある。
そういう自分も、やっぱりあんまり好きになれていないところが実に痛い。
自立した同士で、一緒にいるのがいいと言って、
それができない人だと知っていて、なのにどこかでひきずられている自分が、実に痛い。
会いたいときに、会いたい人に会って、行きたい時に行けるところに行って、
やれるときにやれるだけのことをすればいい。
言葉にするのは簡単だけれども、みんなそれが難しくて、
いろいろひきずられれていて、だから辛いんだろうな、と思った。
いずれにしても、世界は広くて、私たちはひとりぼっちではない。
毎日遅ければ、それは普通になっていくのだろう。
少しずつ、少しずつ、行きたい所に、罪悪感がなく行ける自分になればいい。
行きたいと思える時が来たら、素直に動けるようであればそれでいい。
そろそろまた、たまった言葉を吐き出す時期が来ているのかもしれない。
そう、ひとりで、私をよく知らない人しかいない、そんな場所で。
そうしたら、もう少し誰かに会って、何かを楽しみたいと思う時もいつか来るかもしれない。
いや来なくても、それはそれでまるごと私なんだとも思える時が、たぶん来ると信じて。
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